「あ、あの、ご主人さま、
勇気を出して聞いてみたものの、
自分の要望などエルバートが聞き届けることはきっとない。
「どうしてだ? まあ、良い」
思っていたことと反対の返しに、フェリシアは驚く。
「えっ、よろしいのですか?」
「あぁ、帝都に来た際にいつも立ち寄る店でも良いか?」
「は、はいっ、ありがとうございます」
お礼を言い、エルバートに付いていくと、
やがて男性物のアクセサリーのお店に辿り着き、
一緒に中に入る。
「これはこれはエルバード様、お久しゅうございます」
店の優しそうな主人が声を掛けて来た。
「あぁ、久しいな。見せてもらってもいいか?」
「どうぞどうぞ。ゆっくりご覧下さいませ」
「あ、あのっ、
口を開き、そう勢いよく主人に尋ねたフェリシアは、
――しまった。つい聞いてしまった。
「そうですねぇ、あ、これはいかがでしょう?」
主人がチェーン付きの勲章のようなブローチを差し出す。
(あ、かっこいいブローチ……ご主人さまに似合いそう)
けれど、自分はいつ婚約を破棄されてもおかしくない身。
そんな自分からお返しのプレゼントをされてもエルバートはきっと
でも、何もせずにはもういられない。
「そのブローチ、買わせてください」
「お前、何を……払えないだろう?」
「だ、大丈夫です。お給金を持って来ておりますので」
フェリシアはお給金を主人に差し出してブローチを買い、
「あ、あの、付けても……?」
「あ、あぁ」
胸をドキドキさせながらも、
すると、エルバートはふいっと顔を背けた。
「ご、ご主人さま?」
フェリシアの顔が暗くなる。
(やっぱり、ご迷惑だったかしら……)
* * *
その後、エルバートはフェリシアを連れて外に出る。
まさか、フェリシアにブローチをプレゼントされ、
つい、照れ隠しで顔を背けてしまった。
フェリシアの左腕にブレスレットを付けた時さえ、
彼女の微笑んだ顔は見られなかったものの、
今までで一番嬉しそうな表情をし、思わず、
彼女に照れた顔を見られずに済んで良かったが、
(軍師長の座に付く私が、
きっと彼女は自分がブローチをよく思わなかったと思ったことだろ
早く弁解したいが、今はそれどころではないようだ。
エルバートの目つきが一瞬、鋭くなる。
帝都を訪れてからずっと魔の気配を感じる。
魔に監視されている――――。
近くには寄って来る様子はないが、そろそろ、ここを離れた方が良さそうだな。「今から帝都を離れ、特別な場所に向かうが良いか?」「は、はい」フェリシアに了承を得ると、ディアムが御者を務める馬車の元まで歩いていき、ディアムに手を差し出され、エルバートから順に馬車に乗り込む。そしてすぐさま馬車が動き出し、向き合って気まずく座るフェリシアをよそに窓の外を見つめる。魔は明らかにフェリシアを見ていた。監視とはほんとうに胸糞が悪い。* * *フェリシアはふぅ、と息を吐く。(ご主人さま、目も合わせてくれない…………)ぎゅっと自分の胸元を掴む。エルバートは余程、自分がプレゼントしたブローチが迷惑だったのだ。フェリシアも窓の外を見る。早く謝りたいけれど、エルバートが言う特別な場所とは一体どこなのだろう?そう疑問に思いつつ、馬車は進み――、しばらくして、特別な場所に辿り着いた。初めて見る景色にフェリシアは目を奪われる。特別な場所では海が広がり、白く美しい花が咲き誇っていた。その花々を見た時、家に咲く同じ花を両親と見たことをぼんやりと思い出す。――ああ、無意識にこの花に惹かれ、料理の皿にいつも添えていたけれど、両親と見た大切な花を自分は添えていたのだ。この美しい景色と両親のことを思い出し胸がいっぱいになると、エルバートが隣で口を開く。「帝都の帰りには必ずここに寄ることにしている」「綺麗だろう?」「――はい、綺麗です、とても」「あの、ご主人さま、ブローチ、ご迷惑でしたよね。申し訳ありません」「いや、私こそ、つい嫌な態度を取ってすまなかった」「あれはその……、照れ隠しだ」「ブローチをお前からプレゼントされるなどと思っても
* * *翌日の朝。フェリシアはエルバートをお見送りする為、玄関にいた。今日から、エルバートに仕立てて貰ったドレスを着ているものだから、なんだかずっとそわそわしていて落ち着かない。対してエルバートは朝、挨拶を交わした時も、ドレスと一緒に箱に入っていた可愛らしいエプロンを腰に巻いた姿で朝ご飯をお出しした時も、いつもと変わらない冷酷な表情で、昨日、一緒に帝都に行ったことは夢であったのではないかと思ってしまう。「魔除けのネックレスはちゃんと付けていろ」「家の外には極力出ないように」「か、かしこまりました」「それからフェリシア」エルバートはフェリシアの右頬にそっと触れる。「ドレスもエプロン姿もよく似合っている」まさか、この場で褒めてもらえるとは思わず、火照りを感じると、エルバートはふっと笑う。「左腕のブレスレットもな」(ご主人さま、昨日のブレスレット、外さずに付けていることにも気づいていらしたの……!?)「では、今日も私が帰るまで待っているのだぞ。良いな?」「は、はい。お待ちしております」エルバートはフェリシアの頭をぽんぽんし、背を向けて歩き出す。すると、後ろに立つ微笑ましい表情をしたディアムが小声で、フェリシア様、良かったですね、と言い、会釈した。自分も会釈を返し、ふたりが玄関の扉から出て行くのをただただ見守った。* * *その後、フェリシアは台所で朝ご飯の皿洗いをリリーシャと共にする。「左腕のブレスレット、やはり、エルバート様からプレゼントされたものだったのですね」リリーシャとは自分より2歳年上なこともあり、初めて台所をお借りした時は何も話せなかったものの、姉のように話しかけてくれて、今では少しずつ話せる仲になっていた。フェリシ
リリーシャの命令通り、台所周りとここの窓拭きをしっかりとして終え、家令であるラズールに図書室までの案内と扉の鍵を開けてもらい、はたきで掃除を始める。すると気になる分厚い料理の本を見つけた。帝都の本屋の時は興味はあったものの、結局読まずに終わってしまった。だからこの本は少しだけでもいいから読んでみたいけれど、(勝手に見たらだめよね…………)そう息を吐いた時だった。ラズールが古い本棚から料理の本を取り、なぜか自分に手渡す。「あ、あの?」「好きなだけ読んで良いですよ」「あ、ありがとうございます」フェリシアはお礼を言って、本を開いた。するとページを捲(めく)る度に知らない豪華な料理ばかりで驚く。「フェリシア様はほんとうに何事にも熱心ですね」「貴女のような人がエルバート様の花嫁候補に選ばれて良かったと心から思います」そんなふうに初めて言われ、気恥しい。けれど、自分もブラン伯爵邸の家令と執事長を任されているのがラズールで良かったと心から思った。そうして図書室の掃除も終え、中庭に向かうと、長い前髪に、髪を三つ編みして丸く透明な宝石がいくつも煌いた紐で一つに束ねたお洒落な青年がいた。その青年は首を傾げ、自分の顔を覗き込む。三つ編みと共に紐の宝石も揺れ動いた。「あなたがフェリシア様かい?」急なことに驚いて固まると、青年は状況を理解した。「おっと、これはすまない、花のように綺麗だったものでして」(わたしが綺麗……!?)「庭師のクォーツ・シーニュと申します」「クォーツ様、は、初めまして。フェリシア・フローレンスです」挨拶を返すと、クォーツはにっこりと笑う。「それでフェリシア様は何をしにここへ?」お花を摘みたいところだけれど、
そして、中庭に戻ると、ネックレスを探し始める。しかし、いくら探しても大事なネックレスは見つからない。フェリシアは左腕のブレスレットを撫でる。このまま見つからなかったらどうしよう。そう、多大な不安に陥った時だった。結界が何かと干渉をしたのか、フェリシアがいる一角だけ結界が弱まり、ピシッ、と音がする。両膝を曲げたまま天を見上げると、黒い影に烏の仮面で顔を隠した異形な人間のような姿のアンデットの魔が現れ、欲シイ、とフェリシアの精神に声を響かせる。その瞬間、魔の力が増大し、体が長く伸び――、パリ、ン。エルバートの結界が破られ、フェリシアの体を乗っ取ろうと襲い掛かり、首を傾げ、ぐあっと嘴(くちばし)を大きく開け、細く長い両手でフェリシアの体を頭上から包み込もうとした。(あ、ご主人、さま…………)* * *エルバートは執務室の椅子に座りながら自分の額を右手で押さえる。家の結界が破られただと?嫌な予感がする。ただえさえ、今朝からフェリシアからプレゼントされたブローチのことでカイやシルヴィオに冷やかされ、頭に来ているというのに。それに――、“来ている”新たな気配を感じたエルバートは指をパチンッと鳴らし、一部の宮殿の結界を外す。すると、肩まで髪を流したリリーシャ瓜二つの式神が執務室の窓の外に飛んできた。エルバートが窓を開けると、式神が中に入り、エルバートの胸元をぎゅっと両手で強く掴む。「エルバート様、フェリシア様がっ」「落ち着け。家の結界が破られたことはすでに分かっている」「フェリシアがどうした?」「強力な魔により中庭の一角だけ結界が破られ、フ
* * *フェリシアが魔の細く長い両手で包み込まれそうになった時、自分の名を呼ぶ声が聞こえ、弓矢が飛んできて魔の右手に当たり、その手のみ浄化され、三つ編みにして一つに束ねた髪を揺らし、弓矢を放ったクォーツの姿が見え、駆け付けて助けに来てくれたのだと分かった。けれど、その直後、怒った魔は長い髪のようなものを生やし、頭上から自分の腰を両内側の髪で縛り上げ、外側の両髪をまるで、大きな口を開けて食べるようにクォーツを目掛けて放った。その為、クォーツは自分に近づけず、駆け付けてきたリリーシャ、ラズールが剣で両髪をかっこよく斬り裂き、髪先を浄化するも、髪はどんどん増え、攻撃は止まず、ふたりも苦戦を強いられている。そして自分も一瞬でも気を抜ければ、すぐに体を乗っ取られてしまうだろう。中庭に出なければ。魔除けのネックレスさえ失くさなければ。そう、深い後悔の念がぐるぐると脳内を駆け廻(めぐ)る。これはきっとエルバートの言いつけを守らなかった自分への戒め。魔はクォーツ達に攻撃を続けながら目線を自分に向け、欲シイ、と精神に強く声を響かせる。フェリシアの瞳が黒ずんでいく。なぜ、そこまで自分の体が欲しいのだろう?祓いの力も何もないのに。帰るまで待っていろとエルバートに言われたけれど、(もう、諦めるしか…………)「エルバート様からの伝言でございます。“今すぐ家に帰る”とのことです!」飛んで戻ってきたリリーシャの式神らしきものの声が聞こえ、フェリシアの瞳に再び光が灯り、気を持ち直す。(ご主人さまが家に――――きっと、早退されたのだわ)大変なご迷惑を掛けてしまった。謝っても許されず
* * *フェリシアは家を守ろうと必死に魔に抗う。しかし、魔が欲シイ、と最大限にフェリシアの精神に強く声を響かせ、腰を縛る力を更に強くした。そして、ぐあっと嘴(くちばし)を大きく開け、再び体を乗っ取ろうとする。自分の声など届くはずもないと分かっている。けれど、「ご主人さま、帰ってきてっ…………」そう、声を絞り出し、右目から一筋の涙が流れた。すると、その声に答えるように。「フェリシア!!」自分の名を呼ぶ声が聞こえた。月のように美しい銀の長髪。コートを両手を通さずに羽織り、結界を張ったエルバートが、一点の光る道に立ち、こちらを見据えている。今まで一度も自分の声など届くことはなかった。けれど初めて自分の声が届いた。(ご主人さまが帰って来てくれた――――)そう熱いものが込み上げてきた時だった。魔の目線がエルバートに向けられ、外側の両髪をまるで、大きな口を開けて食べるように放った。エルバートは剣に手をかけ、瞬時に鞘から抜き、髪先を素早く斬って浄化する。しかし、魔の左手が首を締めようと、ぐあっと伸び、エルバートに襲い掛かる。エルバートは続けて左手も斬り、浄化した。すると魔は邪気で結界ごとエルバートを潰そうとする。しかし、エルバートは結界で邪気を跳ね除ける。魔はこちらに来させないよう、邪気で道を塞ぐ。その邪気をクォーツが弓矢でラズールが剣で浄化し、ふたりはそれぞれエルバートに声を掛けようとするも、エルバートが放つ冷たい気と冷酷な軍人の顔の、祓いの神のような姿に恐れをなして立ち尽くす。そしてエルバートは駆け走り、祓いの力で高く跳び上がった瞬間、烏の仮面を剣で真っ二つに斬った。すると半面が浄化され、魔は混乱し地面に倒れ込む。「フェリシア様!」ディアムとリリーシャが叫び
* * *エルバートはしゃがみ、ベットに寝かせたフェリシアの手を握り締める。寝室に勝手に入ってしまったが致し方無い。少しでも帰宅が遅れていたら、彼女の命はなかっただろうと思うと胸が痛む。「フェリシア、今少しの間、このままでいさせてくれ」こうしてエルバートは暫(しば)し彼女との時を過ごした後、ディアム達を書斎(しょさい)に集めた。エルバートは椅子に座り、目の前の机に組んだ手を乗せ、向側(むこうがわ)に立つディアムからフェリシアが中庭に出た経緯をまとめた話を聞く。「フェリシア様自らリリーシャに手伝いをさせて欲しいと申し出て、ラズールに図書室までの案内をされ扉の鍵を開けてもらい、図書室の掃除を終えた後、初対面のクォーツからエルバート様のお気に入りの花を勧められ」「フェリシア様はその花を摘み、リリーシャに渡そうと台所に向かった際に魔除けのネックレスを落としたことに気づき、花だけを長机に置いて中庭へと戻り、ネックレスを探していたところ」「フェリシア様が結界に近づいた事により、結界が何かと干渉をしたのか、フェリシア様がおられる一角だけ結界が弱まり、魔が結界を破ることができ、フェリシア様は魔に襲われてしまったようです」エルバートは右手で顔を覆う。(まさか私の為に花を摘み、命を失いかけたとは)「フェリシア様の手伝いを断ればこんなことには……」リリーシャが謝ろうとすると、クォーツが止め、続けて口を開く。「エルバート様、中庭に落ちていた魔除けのネックレスにございます。花に埋もれておりました」クォーツがそう伝えると、エルバートは顔を覆うのを止め、魔除けのネックレスをクォーツから手渡しで受け取った。クォーツは後ろに下がり、ラ
* * *「あの、ご主人さま、今から晩ご飯の支度を……」夕暮れ時になる前に目覚めたフェリシアはベットの上で起き上がりながら、エルバートに話しかける。ドレスは寝ている間にリリーシャに着替えさせたとエルバートから先程聞いたものの、まさかご迷惑を掛けた身でこんな時間まで気を失っていただなんて。魔に髪で縛り上げられていたせいで腰はまだ少し痛むけれど、晩ご飯は作らなくては。「支度の必要はない。晩ご飯ならここにある」「リリーシャが作ったものだ。さあ、飲め」エルバートはミルクと野菜のスープをスプーンですくい、口に運ぶ。「あ、あの!?」「なんだ? 冷ました方が良いか?」エルバートは息を吹きかけようとする。「そ、そのままで大丈夫です」フェリシアが口を開けると、エルバートはスプーンを中に入れ、スープを飲ませる。(雲の上のような人になんて恐れ多いことを!)そう恐縮し、目のやり場に困り、スープの入った器を見ると、隣にブルーの花が添えられていた。「あ、その花……」(ご主人さまがお気に入りの……)「私の寝室の花瓶に飾る花を摘みに中庭に出たそうだな」「は、はい、申し訳ありません」「もういい」エルバートはそう言い、フェリシアの首に魔除けのネックレスを付ける。「魔除けのネックレス、見つけて下さったのですか?」「クォーツがな」「そうですか、ありがとうございますとお伝え下さい」「分かった、伝えておく。それからこれも」エルバートはフェリシアに宝石が上品に輝くリボンのような形をしたシルバーの髪飾りを見せる。その髪飾りには2本の三日月の形をした綺麗な垂れ飾りも付いてい
宮殿内は豪華絢爛で、もっと圧倒され、すぐさま使用人達の注目の的となった。「あの方がエルバート様の胃袋をお掴みになられたフェリシア様?」「これからエルバート様と共にルークス皇帝とお会いなされるそうよ」「すごいわ。けれど、フェリシア様は今後エルバート様にご婚約を破棄され、エルバート様は正式にアマリリス嬢をお選びなられるとの噂よ」「そうなの? もし噂がほんとうならお気の毒ね」そんなコソコソ話を聞いても、圧倒されているせいか、さほど気にならず、やがて、執務室の前でルークス皇帝の側近が足を止め、フェリシア達も立ち止まった。「こちらが控え室となります」「控え室が執務室だと? 貴賓室の間違えではないか?」エルバートがルークス皇帝の側近に問いかける。「いつもおられる場所が落ち着くと思い、執務室と致しました。ルークス皇帝のご準備が整うまでこちらでしばらくお待ち下さい」ルークス皇帝の側近が執務室の扉を開け、ディアムは廊下で見張る為、フェリシアとエルバートのみ中に入る。するとメイドがワゴンで紅茶とお菓子を持って来て、テーブルに置き、出て行くと扉が閉まった。(ここがいつもご主人さまが執務をなされているお部屋……。書斎よりも広いわ)そう感激していると、エルバートがソファーに座る。「フェリシア、隣に座れ」フェリシアは声をかけられ、ハッとした。(つい、嬉しくて、ご主人さまを置き去りにしてしまっていたわ)「は、はい」フェリシアはエルバートの隣に座る。そして、エルバートと共に紅茶を一口飲む。(あ、美味しい……)少し気持ちが落ち着くと、廊下でディアムが誰かと話している声が聞こえ、扉が開く。優しそうな青年、明るく元気な青年、顔が整った青年が続けて入って来た。するとエルバートは嫌な顔をする。「ディアム、なぜ私に一言もなく開けた?」
「いや、笑うつもりはなかったのだが、お前を見ていたらつい、和んでしまった」「こうやって朝ご飯を共にするのも悪くないな」そう言われ、フェリシアもまた、心が和んだ。このような感じでやがて朝ご飯を終えると、部屋でリリーシャにお化粧、そして髪を整えてもらい、そのままリリーシャと共に大広間へと移り、エルバートが美しい容姿の仕立て屋に頼み、新たに仕立ててもらった高貴なドレスに着替えさせてもらい、更に準備してくれていた耳飾りに花とショートベールが付いた帽子も被せられ、薄らとしか周りが見えなくなった。「フェリシア様、ルークス皇帝の執事のお迎えが参りました」「お開けしても宜しいでしょうか?」ラズールの声が廊下から聞こえ、はい、と許可を出すと、大広間の扉が開き、ラズールに手を添える形で玄関まで行く。すると髪を麻紐で一つにくくり、勲章がたくさん付いた高貴な軍服姿のエルバートが待っていた。この姿はもう何度も目にしているのに、今日のエルバートは帽子のショートベール越しに、これまでで一番美しく、凛々しいように見えた。エルバートはフェリシアに気づき、その姿を見て一瞬驚き、いつもの冷酷な顔にすぐさま戻す。「馬車まで付き添う」「あ、はい、ありがとうございます」お礼を言った後、今度はエルバートに手を添える形でルークス皇帝の執事の馬車まで歩いて行く。すると手が離れ、心細い気持ちになった。けれど、エルバートはそれを察したのか、頭を撫でるように帽子のショートベールの部分に優しくぽんと触れ、瞬く間にフェリシアの心が温かくなった。フェリシアはルークス皇帝の執事により馬車に乗せられ、エルバートはその間にディアムとそれぞれ自分の高貴な馬に乗り、ラズール、リリーシャ、クォーツが集まり、頭を下げた形で見送られ、エルバートとディアムに守られながら、フェリシアを乗せた馬車が御者を務めるルークス皇帝の執事の手に
* * *――夜。フェリシアは書斎にいた。寝る前に大事な話があるとエルバートに言われ、ここまで一緒に来たけれど、(明日のお勤めのことかしら…………)「このソファーに座れ」「は、はい」フェリシアは命じられた通り、2人掛けのソファーの奥に座る。するとエルバートは目の前に置かれたひとり掛けのオシャレなソファーではなく、なぜか自分の隣に座った。「あ、あの、ご主人さま!?」「隣で話す方が話しやすいからな」(ご主人さまはそうかもしれないけれど…………)動くと手が触れてしまう、そんな距離間に、胸がドキドキしない訳もなく、直視出来ない。「それで今から大事な話をするが」「今朝、ルークス皇帝に呼び出された際、お前に一度会いたいとのことで、晩夏の2日前にお前を宮殿の皇帝の間まで連れてくるようにとルークス皇帝より直々に仰せつかった」それを聞いた瞬間、フェリシアは変な声を出す。「えぇ!?」「えぇって……お前、そんなにルークス皇帝とお会いするのが嫌か?」アルカディア皇国とは無縁だった自分が、まさか、ルークス皇帝とお会いすることになるだなんて。しかも、ブラン公爵邸を出ていくことになっている2日前に。「い、いえ、そうではなく……とても驚いたのと、その、大変おこがましいと言いますか……」「ルークス皇帝には皇帝に即位される前から長年仕えているが」「優しく穏やかな雰囲気で、仲間や民を誰よりも大切に思うお人柄なゆえ、そんなに恐縮せずとも大丈夫だ」(ご主人さまの大丈夫はほんとうに心強い)「わ、分かりました」「では、晩夏の2日前までに支度を整える」* * *フェリシアはルークス皇帝にお会いしても恥ずかしくないよう、日々、立ち振る舞いや身だしなみ等に気を付け、当日の早朝。フェリシアはベットの上で固まっていた。どうしよう
すると魔は破壊され、光と共に浄化されると同時に 門の一部が崩れ落ちた。「……ブラン伯爵邸まで届けば良かったものを」「……しかし門はディアムが開け、きっちりと締めたはずなんだが、人一人分開いてるということは魔の仕業か? それともここの者の仕業か?」「……いずれにしてもおかしいことに気付けなかった。それにフェリシアの魔除けは万全だった。にも関わらず何故フェリシアばかり狙われる? やはり秘められた力が関係しているのか?」エルバートが小声で何やら呟くも聞こえなかった。エルバートが追いかけて来なかったら、間違いなく、自分は自分でなくなっていたし、死んでいただろう。「追い付けて良かった。フェリシア、大丈夫か?」エルバートに心配され、フェリシアの両目から大粒の涙が零れ落ちる。どうしてここで涙が出るの?心の痛みも感じるの?魔に襲われそうになり、怖かったのか、正式な花嫁候補に選ばれず、物凄く落胆して傷付いたせいなのか、緊張が切れたせいなのか、ここ2週間、寝不足だからなのか、もうよく分からないけれど、涙が溢れて止まらない。一ヵ月後、出て行く身なのに、こんなの困らせるだけなのに。エルバートは切なげな顔をし、何も言わずにフェリシアをただ抱き締めた。その後、ディアムとエルバートの母の執事も駆け付け、ディアムに心配されると、現れた魔を浄化した際に門の一部が崩れ落ちたことをエルバートが伝え、エルバートの母の執事は自身が修復すると笑顔で言いつつも目が笑っていなかった。そして早く帰った方が良いと、ディアムに馬車に乗せられたのは良いものの、フェリシアはエルバートに命じられ、隣に座らされた。エルバートは肩をそっと抱き寄せる。「あ、あの!?」「また魔に襲われるかもしれないからな
「正式な エルバートの 花嫁候補は、アマリリス嬢とする」エルバートの 父のその言葉を聞き、頭が真っ白になった。エルバートは冷酷な表情のまま黙ってエルバートの父をただ見つめる。「フェリシアさん、貴女には最初から最後まで驚かされた」「特に料理のビーフシチューは素晴らしかった」「だが、アマリリス嬢のビーフシチューの方が優れていると判断した」「しかしながら、努力を配慮し」「フェリシアさんには一ヶ月間、ブラン公爵邸にいる事を許す。だが、その後、ブラン公爵邸から出て行って頂くこととする」一ヶ月後は晩夏。つまり一番暑い時期に出て行けと言う。死んでもかまわないといわれたようなもの。エルバートと一ヵ月間一緒にいられるのは嬉しいけれど、(これでは すぐに出て行けと命じられた方が余程マシだわ)「父上! これはやはりフェリシアを追い出す為の口実を作る茶番であったか!」エルバートは叫び、冷ややかな物凄く強い気を放つ。しかし、エルバートの父はその気を無視して話を続ける。「異論は一切認めん」「一ヵ月後にブラン公爵邸にはアマリリス嬢に住んで頂く」その言葉を聞いたエルバートは剣に手を掛ける。いけない。魔もいないこのような場で剣を抜かせてはだめ!「分かりました」「一ヶ月後、ブラン公爵邸から出て行きます」エルバートは驚いて剣から手を放す。「フェリシア、何を」エルバートと初めて出会った日、尽くそうと、勤めを全うするしかない、どんなに嫌な顔をされようともと心を決めていたのに。「ご主人さま、力及ばず、申し訳ありません」フェリシアはそう言って頭を深く下げる。すると近くの教会の鐘の音が聞こえた。フェリシアは頭を上げ、一人、広間から駆け出て行く。悲しいはずなのに涙も出ず、心の痛みも感じない。自分
フェリシアはアマリリスを見つめる。「はい、わたしもエルバート様が好きです」そう、告白すると、アマリリスは優しく微笑む。「ならば、お互い負けられませんわね」「フェリシア様、お料理にそれぞれ全力を尽くしましょう」「はい」その後、しばらくして、フェリシアとアマリリスのビーフシチューが出来上がると、皿にそれぞれ少し盛り、お互いにスプーンで味見をし、台所まで来たディアムとエルバートの父の側近にはきちんと盛り付けをして、フェリシア達のビーフシチューをスプーンで食べて完食してもらい、エルバート達が食べる6皿の毒味もしてもらう。すると全皿問題ないと判断され、広間までディアムがフェリシアのビーフシチュー、エルバートの父の側近がアマリリスのビーフシチューを責任を持ってお盆で運び、エルバート、エルバートの母、エルバートの父のテーブル席にエルバートの父の側近がアマリリスのビーフシチューを一皿ずつお出ししていき、その後に続いてディアムがフェリシアのビーフシチューを同じようにお出しして、エルバート達のテーブルにそれぞれ2皿ずつ並ぶ形となった。「では私から」エルバートはそう言い、スプーンを持つ。そんなエルバートの姿を心臓をドキドキさせながら、アマリリスと一緒に見守る。エルバートはアマリリスのビーフシチューからスプーンで食べ、完食するとスプーンを自身に対し平行にして置き、普段と変わらない冷酷な表情で頷いた。隣のアマリリスをふと見ると、両目に涙を薄らと浮かべている。エルバートに初めて自分の料理を食べて貰え、更に完食して貰えたことが余程嬉しかったのだろう。アマリリスのビーフシューを先程味見したけれど、とても高貴な味で美味しかった。だからエルバートも頷くくらい美味しかったに違いない。そう思っていると、エルバートと一瞬目が合った。それを合図にエルバートはフェリシアのビーフシチューを新たなスプ
フェリシアは左側から席に着き、ナプキンは2つに折り、輪を手前にして膝にかけて待つ。するとやがてエルバートの母の執事による豪華な肉料理のフルコースが始まり、白ワイン入りグラスは親指から中指の3本で持ち、薬指で固定して飲み、バラの花びらのような生ハムトマトの前菜はナイフとフォークを外側から使い、美しさを楽しむよう、いっぺんに崩さないように左側から少しずつ食べ、クリームスープはスプーンを手前から奥へ動かしてすくい、パンは手で一口大にちぎり、そのパンに少しずつバターをのせて食べ、肉料理である牛フィレのパイ包み焼きは左側の端から食べやすい大きさに切りながら頂き、デザートの華やかなケーキは固かった為、ナイフで切り、食事が終わると、ナイフとフォークを揃え、皿の右下へ置き、ナプキンはテーブルの右側へ無造作に置いて、左側から退席した。こうして、食事マナーも無事に終え、最後の料理作りとなり、フェリシアはアマリリス嬢と共に広間から台所へとエルバートの母の執事に案内され、それぞれビーフシチューを作り始める。ブラン伯爵邸の台所もまた厨房のように広かった。食事マナーを終えた時、エルバートとディアムは見守ってくれていたけれど、エルバートの両親、アマリリス嬢はまたどこか驚いた様子だった。きっと上手く出来ておらず、呆れていたのだろう。そして最後の料理作りは毒や不正が働くのを考慮し、先にディアムとエルバートの父の側近、続いてエルバートとエルバートの母が順に食べ、最後にエルバートの父が食べることになった。だから、(料理を教えてくれたリリーシャさん、そして何よりこのビーフシチューの料理を認めてくれたご主人さまに決して恥をかかせる訳にはいかないわ)そう思っていると、アマリリス嬢が話しかけてきた。「フェリシア様はやはりお料理手慣れていらっしゃるわね」「え?」話しかけられると思っていなかった為、フェリシアは驚く。
――そして、まずはエルバートとアマリリス嬢が踊ることとなり、不安げなフェリシアの袖を掴む手に触れ、見えないように優しく下ろすと、エルバートはアマリリス嬢の元に向かう。すると、エルバートの父が広間に軍楽隊を呼び、その弦楽器の美しく優雅な演奏と共にふたりは踊り始める。エルバートの踊る姿を初めて見たけれど、惚けてしまうくらい美しく、かっこいい。それにアマリリス嬢も引けを取らず、エルバートと息がぴったりと合っている。(雲の上のようなおふたり。ほんとうに絵になるわ…………)やがて、アマリリス嬢とエルバートが踊り終え、フェリシアはエルバートの元まで歩いていき、向き合った状態で足を止める。けれど、緊張で足がすくんでしまう。(せっかくクォーツさんにダンスの特訓をしてもらったのに。こんな足でちゃんと踊れるかしら…………)そう、足に目線を向けながら不安に陥った時だった。「……フェリシア、こちらを見ろ」エルバートに小声で話しかけられ、顔を見る。それだけで不安が一瞬にして消えた。「……私がリードする。だから安心して身を任せろ」「……はい」同じように小声で返すと、エルバートが手を差し出す。フェリシアはその手に自分の手を添えた。それを合図にアマリリス嬢の時と同じ軍楽隊による弦楽器の優雅な演奏が始まり、共に踊り始める。そうして少し慣れた頃、エルバートの手が腰に触れ、顔がぐっと近づく。お互いに見つめ合うと、離れ、踊り続ける。ほんの一瞬顔が近づいただけなのに、顔が熱い。(リードするってご主人さまおっしゃっていたけれど、こんなの身が持ちません)そう思いながらも、不思議と嬉しさの方が勝る。
すると煌びやかな広間のソファーに華やかな女性が座っていた。その女性はエルバートの母から以前見せてもらった新聞のご令嬢に似ており、フェリシアは息を呑む。「アマリリス嬢、なぜここに?」エルバートがそう問いかけ、もしかして、と心の中で一瞬思い浮かべたアマリリスの名が確信へと変わり、本物のアマリリス嬢なのだと理解した。「テオお父様に呼ばれましたの」アマリリス嬢が答えると、エルバートの母の執事が口を開く。「旦那様、エルバート様がご帰省なされました」広間は静寂に包まれ、コツ、コツ、と重い足音が響き渡る。マントを靡かせ、貴族服を着た凛々しき男性、エルバートの父であるテオ・ブランが中に入って来た。髪は長くないものの、エルバートと同じく、美しい銀色の髪をし、顔もエルバートによく似ている。「エルバート、やっと帰省したか」「父上、これは一体どういうことだ?」「私を騙したのか」エルバートは冷ややかな強い気を放つ。しかし、エルバートの父は動じない。「こうでもしないと、お前、帰省しないだろう?」「同じ伯爵の身分だった時はここで共に暮らしていたが、戦闘での活躍が認められ、公爵の位をもらい、家を出て屋敷を構えたきり一度も帰省しなかったお前が悪いのだ、反省しろ」「ご主人さま」フェリシアが声をかけると、エルバートは冷静になる。そして何食わぬ顔をして中に入って来たエルバートの母を一瞬、睨む。「虚言だと分かった以上、すぐにでもこの場を離れたいところだが」「ここまでして私を帰省させた誠の目的はフェリシアだったのだな」(え、わたし……?)「エルバート、さすがは察しが良いな」「フェリシアさんに一度会いたく、お前に連れてこさせたのもあるが、1番はお前の花嫁候補を、この家の当主である、テオ・ブランが正式に決める為だ」エルバートの父の目的を知っ